津波
2006年 12月 07日
今から62年前の今日、昭和19年12月7日東南海地震が起こりました。
志摩半島沖を震源としてマグニチュード8.0と言われています。
三重県南部の紀伊長島でも地震とそれに伴う津波で被害が出たそうです。
熊野灘に面した、紀伊長島は過去にも津波の被害が多く、町内仏光寺境内には
「津波供養塔」があります。
一基は宝永4年(1707年)、もう一基は嘉永7年(1854年)のものです。
記録では、宝永の大地震の後の津波では、当時の紀伊長島の人口2491人のうち
500余人が流死したそうです。
また、供養塔には地震の後には津波に備えて山に逃げる旨が記されています。
再び東海地震、東南海、南海地震の発生が言われ出して、久しいですが地震はいつ襲って来るか、なかなか予想がつきません。
県中部の津市に住む私も、災害に備えて非常持出袋を準備しようと思った今日でした。
津波供養塔がある仏光寺の背後の山です。
志摩半島沖を震源としてマグニチュード8.0と言われています。
三重県南部の紀伊長島でも地震とそれに伴う津波で被害が出たそうです。
熊野灘に面した、紀伊長島は過去にも津波の被害が多く、町内仏光寺境内には
「津波供養塔」があります。
一基は宝永4年(1707年)、もう一基は嘉永7年(1854年)のものです。
記録では、宝永の大地震の後の津波では、当時の紀伊長島の人口2491人のうち
500余人が流死したそうです。
また、供養塔には地震の後には津波に備えて山に逃げる旨が記されています。
再び東海地震、東南海、南海地震の発生が言われ出して、久しいですが地震はいつ襲って来るか、なかなか予想がつきません。
県中部の津市に住む私も、災害に備えて非常持出袋を準備しようと思った今日でした。
津波供養塔がある仏光寺の背後の山です。
by okumura_akio1208
| 2006-12-07 22:32
| 日常